Profile

Otogeworksのロゴ
開業日
2021/10/1
事業名
Otogeworks
代表
ushui (ゆーしゅい)
主な事業内容
システムの設計・開発・テスト・保守

Otogeworksは、音ゲー好きなエンジニアushuiの個人事務所です。
ushuiは宮城県生まれの男性です。現在は東京でゲーム開発やシステム開発を行っております。
妥協しない開発をモットーとし、地道な作業も素晴らしい仕事につながるという思いで作っています。

ushui(ゆーしゅい)は「うしゅい」と呼ばれることもあります。
呼びやすい方でお呼びください。

活動内容

  • iOS/Android向けゲームアプリの企画・開発
  • Webシステムの設計・開発、サーバー構築、業務支援
  • コーポレートサイトなどのWeb制作
  • ブログによる情報発信
  • OSS活動

Web系の開発案件が得意です。
インフラ(クラウド)、サーバー、フロントエンド、バックエンドにかかわらず、幅広く対応可能です。

クライアント端末は下記を所有しています。

  • Windows (デスクトップ、ノートPC)
  • macOS (デスクトップ)
  • iOS (タブレット)
  • Android (スマートフォン)

いずれも普段使いの端末ですので、使い慣れています。
※これらのクライアント向けのアプリ開発を行ったことはあまりありません。開発経験があるのはWindowsのみです

お仕事のご依頼料金はゲームアプリの制作費に充てられます。

実績は別ページ、ご相談・ご依頼・その他お問い合わせはお問い合わせページまで。

スキルシート

情報系の専門学校を卒業し、条件付き称号の高度専門士を保有しています。
就職後は4年間のSE歴があり、様々なIT・システム関連の業務を経験しました。

  • システム開発・運用管理 [仕訳明細入力システム・整備部品管理システム開発・保守など]
  • インフラ構築・管理 [各種サーバー構築・管理、クラウド環境移行など]

情報セキュリティにおいて、最上位の国家資格である情報処理安全確保支援士も保有しています。

ushuiの詳細スキルシートは以下です。業務で経験したものを記載しています。

ジャンル 社内Webシステム開発、会員制Webシステム開発、
サーバー構築、ホームページ制作
言語 フロント HTML/CSS、JavaScript(jQuery)
Web Java、PHP、Python(Django)
サーバー Node.js、PowerShell、VBS、Bash
OS Windows Server、Linux(RedHat系)
Webサーバー Apache、Nginx
データベース(DBA,SQLどちらも可) Oracle、PostgreSQL、MySQL(MariaDB)
保有資格 基本情報技術者、応用情報技術者、情報処理安全確保支援士
※登録セキスペは未保有
所有ソフトウェア Microsoft Word、Microsoft Excel、Adobe Illustrator CC
その他 AWS/Azureの環境構築・運用、WordPress

個人的なプロフィール

私に関心をお寄せいただき、ありがとうございます。

これは私個人のプロフィールです。どういう人なのか、何となく掴んでいただければ幸いです。

  • 宮城県生まれ、宮城県育ち
  • 意気投合した友人とともに上京し、現在は東京でルームシェアを行っています
  • 20代後半の男性
  • 猫の日(2月22日)生まれの猫好きです
  • めちゃくちゃインドアです(コロナ渦でさらに加速しました)。作業も自宅がほとんどです
  • 音ゲーが好きです。インドアと言いつつゲームセンターにはたまに行きます
  • 食べ物はカレーが好きです。幼少期から偏食家で、同じものを食べ続ける傾向があります

個人的な歴史

自分をカッコよく見せるのは苦手なので、いわゆる自分史のような形態でまとめてみました。
インターネット上でこういうものを公開している方はとても少ないので、事務的、もしくは、きらびやかな情報しか目に入らず、どのような価値観を持つ人間か分かりかねると思います。

人生の歩み方で、そういった人情味を感じ取ることができれば幸いです。
つまらないものですが、どうぞお読みください。

小学校低学年まで

宮城県仙台市で誕生しました。
幼い頃はパズルやレゴブロックを好んでいたようです。
生まれながらにして何かを作ることが好きだったのだと思います。

小学生の頃に両親が離婚したため、母子家庭でした。
そのため大黒柱となった母親はほとんど家におらず、少なくとも平日に構うことができなかった母親は私にゲーム機を与えて遊ばせていました。母親は時間を見つけて時々外に連れ出してもくれましたが、当時の私はゲームに夢中でした。

スーパーファミコンやゲームボーイカラーなどのカラー化が進んだ辺りのハードウェアから、ゲームキューブやプレイステーションのように3DCGが発達して映像の解像度が上がる様を体験することで、幼いながらも技術の進歩に胸を躍らせていました。

中学生まで

中学生の頃にPCに出会い、Windows XPのPCを親戚から譲り受けたことがきっかけでインターネットの世界に没入し、この頃にPerlというプログラム言語を覚えました。Perl/CGIという技術でCGIゲームを作り上げていく体験をすることで「作る楽しさ」に目覚めました。
Perlで入出力を制御し、HTML/CSSで装飾し、JavaScriptで操作性を補助するという、道具の役割の違いを少しずつ理解していきました。

テレビには周囲よりも関心を示さない子どもだったので、「同年代なら知っているあの人」は知らないことが多いです。
また小学校高学年~中学校時代は不登校児であり、世の中から隔絶された世界で育っていた時期です。高校生で復学しましたが、最も多感な時期に他の方と異なる体験をしたことで、他の方と話していると自身に若干の世間知らず感を覚えることがあります。

PCに出会ったきっかけは、復学に向けて大学病院へ通っていた頃、カウンセリング室にあったPCを触ったことです。病院の先生に許可をいただき、廃棄予定のPCのパーツを組ませてもらったこともあります。
私の原点でもある、とても貴重で有意義な経験でした。当時ご担当くださった先生には感謝しきれません。

高校生まで

通信制の高校に進学しましたが、そこは通信制でありながらも生徒が集まる学校が存在し、毎日通うことができる珍しい形態の学校でした。体調不良で休んだことを除き、学校には毎日通いました。中学生までの長い不登校経験から人と話すことがとても苦手でしたが、先生方のご理解や友人に恵まれ、高校生を卒業する頃には比較的まともになれていたと思います。
この頃の友人にはとても感謝しています。

宮城県在住だったので東日本大震災に直撃しましたが、奇跡的に、大きな被害を受けることや直接の知り合いが亡くなることはありませんでした。しかし沿岸部に住んでいた期間はそれなりに長くそこの知り合いも多かったため、精神的には他人事ではなかったことを覚えています。

この頃から情報技術そのものに興味を抱いて勉強を始めるようになり、不登校時代に抜け落ちていた基礎学力を補いつつも、技術について包括的に学びたいと思い、情報系の専門学校に進学しました。

専門学生まで

順風満帆とは行かないもので、入学後に色々あって家計が大きく傾いてしまい、アルバイトのほか、無利子の奨学金を借り入れしていました。一時期は携帯電話が使えなくなり、大家から賃貸の強制退去について通告を受けるほどまで悪化したため、親戚には中退を視野に入れるように言われていました。
(このような家庭事情を他人には話さず、当時趣味で行っていたチームのゲーム制作を半ば一方的に中止にしたことがあります……)

つまり、学費とは別にお金が必要な状況です。アルバイトは1年間に渡って週5~6回行っていたことがあります。時給800円で月13万~15万くらいもらっていました。学校が終わった後の平日4日間で6時間と休日2日間で8時間の「(4日×6時間+2日×8時間)×4週」に深夜労働の賃金分を足して、それくらいの額面になっています。

ここまで来ると学業に支障が出ることは明白なので、学校の先生方には事情を説明しましたが、何とか生活と学業を両立させ、アルバイトと並行して応用情報技術者という国家資格試験に合格し、後にその上位試験にも合格しました。
学校をほとんど休まなかったことからも、無事卒業することが叶って就職に至ります。

ちなみに、音ゲーとはこの頃に出会いました。上記の事情もあってあまり多くは遊べませんでしたが、私にとってはとても大切な出来事です。
この頃から作ってみたいものが明確に出てくるようになりました。

社会人まで

中学生時代からの知識と専門学生の経験を活かし、東京のIT企業に就職しました。
業務ベースのシステムを取り扱っている中小企業で、お客様とのパイプも太く一次受けが多かったため、これまでの独学による経験などとは求められるものが異なっていました。
改めて振り返ってみると必死に働いていた時期です。私を担当した上司には頭が上がりません。

4年間という短い間でしたが、フルスクラッチの開発を担当したり、社内インフラの管理者になったり、チームが担当していた業務の分業化により事業ごと転籍し、転籍先で技術基盤を作るなど、色々なことを経験させていただきました。

また社会人になる時、意気投合した友人たちと上京してルームシェアを始めています。

現在

やりたいことを実現するため、独立しました。
プログラムを作れること、音ゲーが好きなこと、独立できたこと。すべて人生の経験を礎にしたものです。

人生はちゃんと繋がっています。
私は前を見て歩く人間なので、過去に戻ることができても戻らないと思います。

ちなみに2/22(猫の日)に生まれたのは偶然で、本当はもう少し早く生まれる予定だったそうです。
身内に猫を飼っている人が多く、猫に縁のある生まれなのだと勝手に思っています。

夢は作ってみたいものを作ること、アーケードゲームの筐体を家に置くこと、猫を飼って愛でることの3つです。
後者2つに関しては賃貸の関係で好き勝手できないんです……。(いつか実現したい)